大阪がおもろい所や
卒業したら、本当に面白い生活したいです。僕の夢は日本では有名に成る事で、楽しくて面白いから、日本語が出来るプロファイターになるつもりです。その生活の準備をするために、五週間大阪に行きました。一年間お金を貯めるためにパデュー大学の学食とインディアンアポリスである安積という和食レストランで働きました。五月18日アメリカから出かけました。前の日本に行ったことがありますが、その時は普通の観光旅行だったから、いつも旅館とかホテルで泊まったら、早く次の市に行きましたが、大阪にいる時、パデューの柔道部で会った友達がアパートを探してくれたから、毎日同じ部屋で泊まて、僕はツーリストを感じないから嬉しかったです。自分の部屋で料理、シャワー、洗濯をすること出来ました。ちょっと家を感じました。同じアパートのビルで住んでいるイギリス人とオーストラリア人と友達を作って、格闘技の練習した後で彼たちと一緒にバーとかレストランに遊びに行きました。大阪に着いたら、二日後シューティングジム大阪という格闘技ジムに入りました。シュートとはSHOOTOと言う総合格闘技のスポーツです。シュートでは、ボクシング、柔道、柔術、レスリンゴ、なんでも出来ます。一週、4か5回二時間くらいジムに行って、ボクシング、レスリング、柔術を習って練習しました。前にボクシングの経験があまりなかったから、初めのうちはとても難しかったです。ゆっくり正しい技を習って、少し自信を得ました。柔道のレスリングと寝技がちょっともう知っていたから、スパーリングする時よく引き分けとか勝ちました。でも、ジムではたくさんプロかよく試合いに行く選手いて、僕が負けたこともありました。上手な選手と一緒に練習しったら、よく負けたのに、相手からいっぱい習った嬉しかったです。最近、柔道部で寝技をする時、そこまで一回しか負けませんでした。毎回頑張って練習したから、よく疲れていましたので、あまり観光をしませんでしたが、夜に友達と一緒に居酒屋かバーに行って大丈夫でした。トレーニングする時は一番嬉しい所で、卒業したら、シューティングジム大阪へ帰るつもりです。
2009年9月12日土曜日
トラウトさん
私の夏休み
私はどんな最近の夏休みを過ごしましたか。じゃあ、インディアナで住んでいませんでした。本とは、この夏休みカリフォーニアのチコで私のいとこニックと一緒に住んでいて、バーでバウンサとして働きました。よく楽しんで、とても面白かったと思いました。
でも、一番良い面白かったことは私たちとニックの友人の長い旅行と思います。チコからテクサスのムルケルまで車で行きました。ニックの友人の名前はアンディです。彼の車で乗りました。そして、チコからの旅行の間に彼はラス・ヴぇガスに訪問したいんでした。それで、私たちはヴぇガスに訪問しました。でも、とても混んでいると思いました。でも、色々なカジノに行きました。とてもかっこいいと思いました。そして、ニックがブラック・ジャックをして、六十ドルを当てました。
私たちが去った時に朝になりました。そして、小さいレストランに行って、朝ごはんを食べました。とても美味しいと思いました。
ムルケルに着いた時に地方のバーに行って、ニックのムルケルから友人と会いました。彼の名前はクリッフです。ビールを飲んで、パーティーをしました。とても楽しいと思います。次の日はムルケルで私たちの唯一の日だから、楽しまなければなりません。私たちは湖に行って、小さいボートを乗りって、泳ぎました。とても暑いのところでもいつも泳ぎましたから、立派な日と思いました。
次の日私とニックとアンディはムルケルに去りました。そして、テクサスに出る前に私はいいレストランに行って、美味しい焼肉を食べたいんでした。それで、しました。マティーズという地方の古いレストランで食べました。そして、私たちは食べすぎたから、旅行するの人のお休みの場所で昼寝をしなければなりませんでした。そして、次の日、チコに帰りました。
これは私の夏休みの一番良い面白かったことです。アンディとクリッフは未だ私のいい友達です。そして、あの旅行は私の一番好きなのです。とても楽しいと思います。
私はどんな最近の夏休みを過ごしましたか。じゃあ、インディアナで住んでいませんでした。本とは、この夏休みカリフォーニアのチコで私のいとこニックと一緒に住んでいて、バーでバウンサとして働きました。よく楽しんで、とても面白かったと思いました。
でも、一番良い面白かったことは私たちとニックの友人の長い旅行と思います。チコからテクサスのムルケルまで車で行きました。ニックの友人の名前はアンディです。彼の車で乗りました。そして、チコからの旅行の間に彼はラス・ヴぇガスに訪問したいんでした。それで、私たちはヴぇガスに訪問しました。でも、とても混んでいると思いました。でも、色々なカジノに行きました。とてもかっこいいと思いました。そして、ニックがブラック・ジャックをして、六十ドルを当てました。
私たちが去った時に朝になりました。そして、小さいレストランに行って、朝ごはんを食べました。とても美味しいと思いました。
ムルケルに着いた時に地方のバーに行って、ニックのムルケルから友人と会いました。彼の名前はクリッフです。ビールを飲んで、パーティーをしました。とても楽しいと思います。次の日はムルケルで私たちの唯一の日だから、楽しまなければなりません。私たちは湖に行って、小さいボートを乗りって、泳ぎました。とても暑いのところでもいつも泳ぎましたから、立派な日と思いました。
次の日私とニックとアンディはムルケルに去りました。そして、テクサスに出る前に私はいいレストランに行って、美味しい焼肉を食べたいんでした。それで、しました。マティーズという地方の古いレストランで食べました。そして、私たちは食べすぎたから、旅行するの人のお休みの場所で昼寝をしなければなりませんでした。そして、次の日、チコに帰りました。
これは私の夏休みの一番良い面白かったことです。アンディとクリッフは未だ私のいい友達です。そして、あの旅行は私の一番好きなのです。とても楽しいと思います。
タイさん
2009年の夏休み
2009年の夏休みはいつもと違った。今年は父が日本から台湾へ転職した。ですから、日本に行くのはしばらくで最後になった。六月末のことだから、日本にいるのは最後の一ヶ月になった。私は中学校の時一年日本にいたから、その時の野球部の友達が何人もいて、そして、カナダに出会ったの高校時代の友人もいた。今度は最後ですから、何かをやって一生も忘れられないの思い出を作りたかったっだ。最後はもちろんいろいろなことをして、満足のままで帰国した。でもその中一番CRAZYのことはやはり高校時代の友達と二人がママちゃーリーで東京から富士河口湖まで乗ったことと違いないんだ。
その距離は片道で120キロも越えたが、それを知っても私たちはもう決心した。予定は一日目東京都から目的地に着き、二日目河口湖の近く、富士急ハイランドという遊園地に行って、三日目がゆっくり休んで、四日目東京に戻るんだ。実現的かどうかわからなかったが、二人の熱血男が六月二日の朝六時家に出って、Danny’sで体力をチャージし、自転車の旅を始めだ。最初の60キロ八王子までは平地ですから、私たちはペースをなくしてスピードがどんどん上がってしまった。八王子に出ってすぐ高尾山に入った。その時はちょうど一時くらいで太陽が大きく、暑かった。私たちはもう乗り始めから五時間も越え、体力が多く減っていた。山に出るまでの距離は20キロくらいが、わたしたちに4時間以上もかかった。ですから、夕方までは目的地に着かなく、途中で民宿に住むことにした。
二日目は朝も早くから自転車を乗って河口湖に向かっていた。富士山の方面に行くと全部坂登りから、それで前日の疲れも余って、残りのわずか20キロは4時間もかかった。目的地の旅館に着くのは午後のこと、その後は疲れすぎで休憩したから近くの温泉に入った。その温泉は言葉もできないくらい気持ちよくて、温泉の中ですぐ寝そうだ。
三日目は遊園地にいた。まだ日本の夏休みに入ってないし、平日だっだからあまり並ばないで遊ばれた。その遊園地はローラコースターは五つもあった。その中一番怖かったのは“総回転数世界一”のローラーコースターとしてギネス世界記録に認定された、“ええじゃないか”というコースターだ。回転と言えば、コースターだけじゃなく、座席自体も回転するんだ。その一日はコースター天国で遊んで今まで行ったの最高の遊園地だ。
四日目は同じの甲州街道に沿って、東京に向かっていった。帰り道はほとんど下り坂から、予想より早く帰って来た。一日目と比べて、帰るのほうは涼しくてそんなに疲れていなかった。でも途中で少し雨が降っていた。家に帰って足が三日間くらい痛かったんだ。この結果になでも、最初の目的に完成して二人と一緒にいい思い出が作った。
2009年の夏休みはいつもと違った。今年は父が日本から台湾へ転職した。ですから、日本に行くのはしばらくで最後になった。六月末のことだから、日本にいるのは最後の一ヶ月になった。私は中学校の時一年日本にいたから、その時の野球部の友達が何人もいて、そして、カナダに出会ったの高校時代の友人もいた。今度は最後ですから、何かをやって一生も忘れられないの思い出を作りたかったっだ。最後はもちろんいろいろなことをして、満足のままで帰国した。でもその中一番CRAZYのことはやはり高校時代の友達と二人がママちゃーリーで東京から富士河口湖まで乗ったことと違いないんだ。
その距離は片道で120キロも越えたが、それを知っても私たちはもう決心した。予定は一日目東京都から目的地に着き、二日目河口湖の近く、富士急ハイランドという遊園地に行って、三日目がゆっくり休んで、四日目東京に戻るんだ。実現的かどうかわからなかったが、二人の熱血男が六月二日の朝六時家に出って、Danny’sで体力をチャージし、自転車の旅を始めだ。最初の60キロ八王子までは平地ですから、私たちはペースをなくしてスピードがどんどん上がってしまった。八王子に出ってすぐ高尾山に入った。その時はちょうど一時くらいで太陽が大きく、暑かった。私たちはもう乗り始めから五時間も越え、体力が多く減っていた。山に出るまでの距離は20キロくらいが、わたしたちに4時間以上もかかった。ですから、夕方までは目的地に着かなく、途中で民宿に住むことにした。
二日目は朝も早くから自転車を乗って河口湖に向かっていた。富士山の方面に行くと全部坂登りから、それで前日の疲れも余って、残りのわずか20キロは4時間もかかった。目的地の旅館に着くのは午後のこと、その後は疲れすぎで休憩したから近くの温泉に入った。その温泉は言葉もできないくらい気持ちよくて、温泉の中ですぐ寝そうだ。
三日目は遊園地にいた。まだ日本の夏休みに入ってないし、平日だっだからあまり並ばないで遊ばれた。その遊園地はローラコースターは五つもあった。その中一番怖かったのは“総回転数世界一”のローラーコースターとしてギネス世界記録に認定された、“ええじゃないか”というコースターだ。回転と言えば、コースターだけじゃなく、座席自体も回転するんだ。その一日はコースター天国で遊んで今まで行ったの最高の遊園地だ。
四日目は同じの甲州街道に沿って、東京に向かっていった。帰り道はほとんど下り坂から、予想より早く帰って来た。一日目と比べて、帰るのほうは涼しくてそんなに疲れていなかった。でも途中で少し雨が降っていた。家に帰って足が三日間くらい痛かったんだ。この結果になでも、最初の目的に完成して二人と一緒にいい思い出が作った。
スタンダードさん
夏休み
夏休みにあまり何もしなくて、どこへも行かなかったから、今年の夏休みは前の夏休みはすこし違いました。家族の中にお母さんだけインディアナ州に住んでいて、お父さんや祖父母は遠い所にすんでいます。祖父母はメイン州に住んでいて、お父さんはメキシコに働いて、南米のチリに住んでいて、会うのはかなりたいへんですから、春休みや冬休みや夏休みだけで会えます。でも、今年の夏休みに、旅行なんてしずに、働きました。インディアナ州のキャラメルにある会社で働いて、運転すれば、通っているのが一時間以上かかりますから、我慢しなければなりませんでした。ウェブデザイナとして働いていますから、仕事がたいてい家でできるから、一週間に一回しか通いませんでした。忙しくて、毎日はたらきました。時々週末にも働かなければなりません。お父さんは普通にメキシコにはたらいていますのに、ある週末にお父さんがインディアナ州に来て、いろいろなことをしました。映画に行ったり、レストランで食べたりします。ラファエットはすこしつまらないから、映画を四つ見ました。
仕事以外にあまりなにもがありませんでした。暇があったらビデオゲームをやって、友達と出かけて、そんな面白くないことをしました。働いていたから、お金が普段よりもらって、たくさんなゲームを買いました。新しいバイオハザード、バイオハザード5、を買って、何度もやりました。バイオハザード5の一番いいところは友達と一緒に遊ぶことだと思います。一人も出来るけど、二人でやれば、もっと楽しくなります。夏休みに他の買ったゲームは「ゴミ箱」と言われています。地球温暖化を倒すために、ゴミをじっくり捨てて、出来れば、可燃物でも、生物分解を使って、ゴミを消えさせます。ゴミ箱をすると、初めて小さなゴミを捨てていますが、最後のステージに山や坂をすてます。
夏休みはつまらなかったかどうか分かりませんが、リラックスするのはとてもよかったです。
夏休みにあまり何もしなくて、どこへも行かなかったから、今年の夏休みは前の夏休みはすこし違いました。家族の中にお母さんだけインディアナ州に住んでいて、お父さんや祖父母は遠い所にすんでいます。祖父母はメイン州に住んでいて、お父さんはメキシコに働いて、南米のチリに住んでいて、会うのはかなりたいへんですから、春休みや冬休みや夏休みだけで会えます。でも、今年の夏休みに、旅行なんてしずに、働きました。インディアナ州のキャラメルにある会社で働いて、運転すれば、通っているのが一時間以上かかりますから、我慢しなければなりませんでした。ウェブデザイナとして働いていますから、仕事がたいてい家でできるから、一週間に一回しか通いませんでした。忙しくて、毎日はたらきました。時々週末にも働かなければなりません。お父さんは普通にメキシコにはたらいていますのに、ある週末にお父さんがインディアナ州に来て、いろいろなことをしました。映画に行ったり、レストランで食べたりします。ラファエットはすこしつまらないから、映画を四つ見ました。
仕事以外にあまりなにもがありませんでした。暇があったらビデオゲームをやって、友達と出かけて、そんな面白くないことをしました。働いていたから、お金が普段よりもらって、たくさんなゲームを買いました。新しいバイオハザード、バイオハザード5、を買って、何度もやりました。バイオハザード5の一番いいところは友達と一緒に遊ぶことだと思います。一人も出来るけど、二人でやれば、もっと楽しくなります。夏休みに他の買ったゲームは「ゴミ箱」と言われています。地球温暖化を倒すために、ゴミをじっくり捨てて、出来れば、可燃物でも、生物分解を使って、ゴミを消えさせます。ゴミ箱をすると、初めて小さなゴミを捨てていますが、最後のステージに山や坂をすてます。
夏休みはつまらなかったかどうか分かりませんが、リラックスするのはとてもよかったです。
サラザーさん
今年の夏のときに私がたくさんの楽しい、と難しいことをしました。春のクラスが終わりましたあとで、私がパデイウ大学のゴルフコースでアルバイトを始めました。15-歳から私はいつも夏のあいだにゴルフコースに働きましたので、今年に頭の考えは何でこわると思いました。私の責任はフアワイの芝を切るという責任がありました。切るために、私が大きいトラクタのようにくさかりきを運転しました。ごごのときにゴルファーはとても多いので、芝義理をするために朝で早めに起きらなければなりません。5時から1時まではいちばんの効果的な働き時間です。私は寝坊することがすきだから、5時に起きることわけっこう難しいけど、何回も起きるからなんかなんかなれってします。とりあいず、あれは私のアルバイトでした。アルバイトべつにとうして、私がやはりレスリングを毎日毎日練習して、訓練しました。夏のじかんのとき、試合は少ないのでフリーウエイトをリフトし、スプリントを走り、また時あと時レスリングを実習します。Purdue大学はビグテヌにいるから、すべてのしあいはすごく難しいです。なぜならとはビグテヌレスリングはアメリカでいちばん強いです。それで、それぞれのビグテヌのちーむはすごく強よく、従って私が毎日一生懸命に練習しなければなりません。
夏休みにアルバイトや訓練をしないとき時間を持ったときに私の趣味は多です。一番大好きの趣味はオウトバイを乗ることです。誕生日だったときに私の奥さんがプレゼントとして新しいオウトバイを買ってくれました。ハルレイデビダサンとにてる本田です。私ができりかぎりだんだんだんだんアップグレードてじゅんをしています。まずのアップグレードは珍しいオレンジペイントをアプライして、とてもすてきに見ました。つぎのアップグレードのは新しい排気管をせつびして、新しいサウンドがあって、やばいと思いますhahahahahaha。
基本的にあれは私の夏休みでした。とても楽しくて、かんぺきだったとおもいます。
夏休みにアルバイトや訓練をしないとき時間を持ったときに私の趣味は多です。一番大好きの趣味はオウトバイを乗ることです。誕生日だったときに私の奥さんがプレゼントとして新しいオウトバイを買ってくれました。ハルレイデビダサンとにてる本田です。私ができりかぎりだんだんだんだんアップグレードてじゅんをしています。まずのアップグレードは珍しいオレンジペイントをアプライして、とてもすてきに見ました。つぎのアップグレードのは新しい排気管をせつびして、新しいサウンドがあって、やばいと思いますhahahahahaha。
基本的にあれは私の夏休みでした。とても楽しくて、かんぺきだったとおもいます。
ルプリーさん
僕の普通な夏休み
夏休みは、ことあるごとに何か楽しい事をやると想像されるくせに、ずっと面白い事をしなかったまま休暇が過ぎ去った。アルバイトをしたり、帰ってからテレビを見たりし、何と言っても退屈な日常生活だった。少なくとも、ある日までそうだった。
その時、夜行列車に乗ったものだった。よく覚えていないけど、確か、シカゴの方へ行っていたと思う。安らかに休息しており、不意に寒気がするほど車両が妙な空気に満ちていた。驚いたことに廊下の突き当たりまで見、あたかも百歳以上のようなお爺さんが現れた。ろくに食べないようで壊れやすそうな身体としてはよっぽど足の速かった人だった。
お爺さんが僕の方へすぐに近づき、皺になった腕を及んできらきらしていたグラス球を見せてくれた。「持ってごらんなさい」と言い、球がまるで燃えているように熱く見えたわけで僕が初めのうちはためらったものの、触ったとたん、手触りがむしろ冷たかった。もっと近くに中央に目を向けると、死体が現れた。僕の死体だった!一方では怖くてびっくりしていてもう球を落としそうになったが、他方では本当に不合理で、信じられなかったくらいだった。
どうしてそんな映像を見たかと聞こうとしたら、お爺さんが子供っぽく笑ったりしたし、からかって嘲笑ったかと思ったから、つい声を上げ怒鳴ってしまった。「ナンジャコリャー!」って叫び、お爺さんは僕に大変腹を立ったせいか急に真剣な顔付きで、下記の事を言った。「心は悩みでいっぱいのう。だから自分の死を見た。」僕は、「ふざけないで!なぜ見たのを知ってる?いったい誰なの?」と聞いたのに、爺さんはただ「井の中の蛙大海を知らず。」と言った。
当時、列車の動きがたった前方だけでなく、上の方にも動いたとすぐ感じた。日除けをブルブルと開けて、窓越しに地面が見えてきた。上がれば上がるほど地球が小さくなっても、そんな遥かな所から見下ろし、地球は本当に参照が小粒でも鹹い物だと思った。なんとなく自分の惑星、自分のうちを感謝してき、この頼っているいつもお世話になった星を雨が降ろうと槍が降ろうと守るべきだという強い印象を持っていた。それから目覚めて、どうして変な夢を見たのか全然考えられなく、それをさておき急いでアルバイトへ行った。言ったとおり、夏休みは面白い事なんかしなかった。
夏休みは、ことあるごとに何か楽しい事をやると想像されるくせに、ずっと面白い事をしなかったまま休暇が過ぎ去った。アルバイトをしたり、帰ってからテレビを見たりし、何と言っても退屈な日常生活だった。少なくとも、ある日までそうだった。
その時、夜行列車に乗ったものだった。よく覚えていないけど、確か、シカゴの方へ行っていたと思う。安らかに休息しており、不意に寒気がするほど車両が妙な空気に満ちていた。驚いたことに廊下の突き当たりまで見、あたかも百歳以上のようなお爺さんが現れた。ろくに食べないようで壊れやすそうな身体としてはよっぽど足の速かった人だった。
お爺さんが僕の方へすぐに近づき、皺になった腕を及んできらきらしていたグラス球を見せてくれた。「持ってごらんなさい」と言い、球がまるで燃えているように熱く見えたわけで僕が初めのうちはためらったものの、触ったとたん、手触りがむしろ冷たかった。もっと近くに中央に目を向けると、死体が現れた。僕の死体だった!一方では怖くてびっくりしていてもう球を落としそうになったが、他方では本当に不合理で、信じられなかったくらいだった。
どうしてそんな映像を見たかと聞こうとしたら、お爺さんが子供っぽく笑ったりしたし、からかって嘲笑ったかと思ったから、つい声を上げ怒鳴ってしまった。「ナンジャコリャー!」って叫び、お爺さんは僕に大変腹を立ったせいか急に真剣な顔付きで、下記の事を言った。「心は悩みでいっぱいのう。だから自分の死を見た。」僕は、「ふざけないで!なぜ見たのを知ってる?いったい誰なの?」と聞いたのに、爺さんはただ「井の中の蛙大海を知らず。」と言った。
当時、列車の動きがたった前方だけでなく、上の方にも動いたとすぐ感じた。日除けをブルブルと開けて、窓越しに地面が見えてきた。上がれば上がるほど地球が小さくなっても、そんな遥かな所から見下ろし、地球は本当に参照が小粒でも鹹い物だと思った。なんとなく自分の惑星、自分のうちを感謝してき、この頼っているいつもお世話になった星を雨が降ろうと槍が降ろうと守るべきだという強い印象を持っていた。それから目覚めて、どうして変な夢を見たのか全然考えられなく、それをさておき急いでアルバイトへ行った。言ったとおり、夏休みは面白い事なんかしなかった。
ペリーさん
私の夏休み
私の夏休みはちょっとつまらないんです。何があまり起こっていないんで、アルバイトしかしませんでした。そういうアルバイトは父と一緒に車用品売りました。毎日のようにガレージに出て行って、車用品を洗うんだリ、包んだりしました。それから、FEDEXかUSPSに運転して包みを届けました。毎月は一千ぐらいドルを儲かりました。
それ以外、毎晩友達と一緒にぶらぶらして、すごく楽しかった。例えば七月四日はオーペンカーで花火を見に行きました。二回ルイビール市に行ってライブを見ました。何回か沙織に会うためにシカゴへ行きました。最後の着いた時後で、まず最初にミツワという日本スーパーに行ってカルピスを買いました。それから、もうすぐガブットバーガーに行ってテリヤキバーガーを注文しました。とても美味かったです。その後でミツワの中ジャパニーズ本屋に入って色々な本を探して立ち読んでいました。その時二、三冊日本の本を読んでみているが、何も買わなかった。後で、彼女の妹と一緒に寿司ステーションというお寿司屋に行きました。そこで、クルクル寿司を食べたり、私がアサヒ生ビールを飲んだりしました。寿司ステーションで、色々なおかしいお寿司がありました。フィーニックスというのは私の一番好きなお寿司でした。フィーニックスの成分はマグロとかアボカドとか天ぷらの断片とかスパイシーマヨネーズなどでした。
七月二十日から二十四まで、パデューで私の誕生日パーティーが行われました。私のベストフレンドと彼の彼女と私の彼女が祝いました。私達はバーに行ってお酒を飲んでいました。私はお酒があまり好きじゃないので、誕生日だから、たくさんビールとショット飲んじゃった。ラッキーに重い病気になりませんでした。
夏休み末は家族と一緒にフロリダに旅行しました。一週間ぐらい泊まりました。実はフロリダがあまり好きじゃなけど、母の嬉しさのために行きました。毎日のように海岸に泳ぎました。二日でボーダズという本屋に行って二冊を買って、海岸に寝たら読んでいました。私にとって、それはフロリダです。つまらないと思います。
私の夏休みは何かが起こっていないので、楽しかった。友達と家族さえいれば、うれしいです。
私の夏休みはちょっとつまらないんです。何があまり起こっていないんで、アルバイトしかしませんでした。そういうアルバイトは父と一緒に車用品売りました。毎日のようにガレージに出て行って、車用品を洗うんだリ、包んだりしました。それから、FEDEXかUSPSに運転して包みを届けました。毎月は一千ぐらいドルを儲かりました。
それ以外、毎晩友達と一緒にぶらぶらして、すごく楽しかった。例えば七月四日はオーペンカーで花火を見に行きました。二回ルイビール市に行ってライブを見ました。何回か沙織に会うためにシカゴへ行きました。最後の着いた時後で、まず最初にミツワという日本スーパーに行ってカルピスを買いました。それから、もうすぐガブットバーガーに行ってテリヤキバーガーを注文しました。とても美味かったです。その後でミツワの中ジャパニーズ本屋に入って色々な本を探して立ち読んでいました。その時二、三冊日本の本を読んでみているが、何も買わなかった。後で、彼女の妹と一緒に寿司ステーションというお寿司屋に行きました。そこで、クルクル寿司を食べたり、私がアサヒ生ビールを飲んだりしました。寿司ステーションで、色々なおかしいお寿司がありました。フィーニックスというのは私の一番好きなお寿司でした。フィーニックスの成分はマグロとかアボカドとか天ぷらの断片とかスパイシーマヨネーズなどでした。
七月二十日から二十四まで、パデューで私の誕生日パーティーが行われました。私のベストフレンドと彼の彼女と私の彼女が祝いました。私達はバーに行ってお酒を飲んでいました。私はお酒があまり好きじゃないので、誕生日だから、たくさんビールとショット飲んじゃった。ラッキーに重い病気になりませんでした。
夏休み末は家族と一緒にフロリダに旅行しました。一週間ぐらい泊まりました。実はフロリダがあまり好きじゃなけど、母の嬉しさのために行きました。毎日のように海岸に泳ぎました。二日でボーダズという本屋に行って二冊を買って、海岸に寝たら読んでいました。私にとって、それはフロリダです。つまらないと思います。
私の夏休みは何かが起こっていないので、楽しかった。友達と家族さえいれば、うれしいです。
マルティネスさん
文法1:富士山に登るについて
私と二人の友達一緒に夏休みに一番好きなことは富士山に登ったことです。その旅は最も難しいことでした。成功するために、私達はたくさん力や忍耐や活力が持っていなければなりませんでした。
私の友達の名前はダンとジョンです。私達は8月2008年から7月2009年まで筑波大学の留学生でした。12月に私とジョンは富士山に登るつもりでした。7月10日ぐらい電車で筑波から新宿までに行きました。二時間に新宿から富士山の五スティシオンまでバスに乗りました。ごスティシオンは河口湖と言いました。バスの切符は2600円(26ドラぐらい)でした。
河口湖で私達は昼ご飯を食べたり小さいお土産と棒切れを買ったりしました。歩くのに棒切れを使いました。その日に風がとても強いでした。例えば、風が人々の帽子に吹っ飛ばしました。次、私達は一緒に富士山に登り始めました。
富士山は3776メテルです。まず、私はその山が登り良いと思ういました。その考えは大失敗でした。すぐに、雲をきったり雨が降ったり風が寒いになったりしました。私のメガネの中に水がありましたから、見えませんでした。私達の服はびしょぬれになりました。その晩、小さい建物の中に寝なければなりませんでした。二時に起きました。天気がもう少し更に悪いでした。何とかして、私達は富士山の一番上の点に登りました。
私と二人の友達一緒に夏休みに一番好きなことは富士山に登ったことです。その旅は最も難しいことでした。成功するために、私達はたくさん力や忍耐や活力が持っていなければなりませんでした。
私の友達の名前はダンとジョンです。私達は8月2008年から7月2009年まで筑波大学の留学生でした。12月に私とジョンは富士山に登るつもりでした。7月10日ぐらい電車で筑波から新宿までに行きました。二時間に新宿から富士山の五スティシオンまでバスに乗りました。ごスティシオンは河口湖と言いました。バスの切符は2600円(26ドラぐらい)でした。
河口湖で私達は昼ご飯を食べたり小さいお土産と棒切れを買ったりしました。歩くのに棒切れを使いました。その日に風がとても強いでした。例えば、風が人々の帽子に吹っ飛ばしました。次、私達は一緒に富士山に登り始めました。
富士山は3776メテルです。まず、私はその山が登り良いと思ういました。その考えは大失敗でした。すぐに、雲をきったり雨が降ったり風が寒いになったりしました。私のメガネの中に水がありましたから、見えませんでした。私達の服はびしょぬれになりました。その晩、小さい建物の中に寝なければなりませんでした。二時に起きました。天気がもう少し更に悪いでした。何とかして、私達は富士山の一番上の点に登りました。
ルッツさん
私の夏休み
私の夏休みはとてもいいです。つうれい、私はアルバイトを多く動作するように、でも今年の夏休みはほうもん者の多くがあります。私の両親を二回ほうもんしまして、アイダホの友達は一回ほうもんしました。そして、私はアルバイトを多く動作しない。
私のアイダホの友達は楽しいな人です。彼はこっけいとギターを奏でます。そのはとても難しいです。私たちはシカゴとインディアナポリスに行きました。インディアナポリスで水族館と子供博物館に行きました。水族館で、私たちはイルカのショーを見ました。イルカは凄くしとやかと可笑しいでした。また、最後に、イルカと水と私たち絣しました。天気は暖かいそしてだいじょうぶでした。子供博物館で、新しいエジプト出展があります。ツタンカーメン(King Tutankhamen)の出展を見ました。凄く面白いでした。古代エジプト語服とほうせきと家具を見ました。伝統的な、古代エジプトの家具は葦で作られました。また、一つのミイラがあります。でも、もぞうと思ひました。
今年の夏は私の双子はパーデュー大学の卒業と空軍に就役しました。そして、両親を二回ほうもんしました。最初の訪問のために、私たちは卒業式に行きました。式はとても長いでした。途中で、私は眠ってしました。その後、九アイルランド人の兄弟で行きました。とてもおいしいレストランです。また、私達はフォートオウイアテノンに行きました。フォートオウイアテノンで、1717年の井戸があります。水はとてもさわやなりました。二番目の訪問のために、私の双子の空軍に就役式に行きました。父は空軍に入りまして、私たちは彼女を誇りに思います。就役式で、父は彼女の最初のピンを与えりまして、母は泣きました。その後、お祝いバーベキューに行きました。バーベキューがおいしい料理でした。また、私はお祝いケーキを作りました。 最後に、私は2010年六月に結婚します。そして、レセプションホールと仕出し屋を訪問しました。レセプションホールはDuncan Hallでして、凄くきれいビルです。また、とても安い。
全体的な、私の夏休みはとてもいい休みです。私は友人や家族に見って楽しみました。
私の夏休みはとてもいいです。つうれい、私はアルバイトを多く動作するように、でも今年の夏休みはほうもん者の多くがあります。私の両親を二回ほうもんしまして、アイダホの友達は一回ほうもんしました。そして、私はアルバイトを多く動作しない。
私のアイダホの友達は楽しいな人です。彼はこっけいとギターを奏でます。そのはとても難しいです。私たちはシカゴとインディアナポリスに行きました。インディアナポリスで水族館と子供博物館に行きました。水族館で、私たちはイルカのショーを見ました。イルカは凄くしとやかと可笑しいでした。また、最後に、イルカと水と私たち絣しました。天気は暖かいそしてだいじょうぶでした。子供博物館で、新しいエジプト出展があります。ツタンカーメン(King Tutankhamen)の出展を見ました。凄く面白いでした。古代エジプト語服とほうせきと家具を見ました。伝統的な、古代エジプトの家具は葦で作られました。また、一つのミイラがあります。でも、もぞうと思ひました。
今年の夏は私の双子はパーデュー大学の卒業と空軍に就役しました。そして、両親を二回ほうもんしました。最初の訪問のために、私たちは卒業式に行きました。式はとても長いでした。途中で、私は眠ってしました。その後、九アイルランド人の兄弟で行きました。とてもおいしいレストランです。また、私達はフォートオウイアテノンに行きました。フォートオウイアテノンで、1717年の井戸があります。水はとてもさわやなりました。二番目の訪問のために、私の双子の空軍に就役式に行きました。父は空軍に入りまして、私たちは彼女を誇りに思います。就役式で、父は彼女の最初のピンを与えりまして、母は泣きました。その後、お祝いバーベキューに行きました。バーベキューがおいしい料理でした。また、私はお祝いケーキを作りました。 最後に、私は2010年六月に結婚します。そして、レセプションホールと仕出し屋を訪問しました。レセプションホールはDuncan Hallでして、凄くきれいビルです。また、とても安い。
全体的な、私の夏休みはとてもいい休みです。私は友人や家族に見って楽しみました。
リンさん
忘れられない夏休み
ジャーチン・リン
僕はこの夏、交換留学生として、韓国の大学に送られました。自分は全然韓国語ができないし、韓国に一度も訪れたことが無かったので、とても心配でしたが、同じパデュー大学の韓国人の友達が色々と僕の面倒を見てくれたので、とても助かりました。韓国に到着して、最初に気づいたことは、町の風景や韓国人の荒い車の運転がとても台湾に似ていることです。町の看板を中国語に変えて、写真を撮ったら間違いなく台湾の人も台湾と間違えられるでしょう。友達が空港に迎えに来て、その後友達と一緒にソウルにある僕がお世話になるアパートへ向かいました。ソウル郊外の仁川国際空港からソウル市内まで、車で40分かかりました。ソウル市内に入った時、ソウルが台湾の台北と似ていて驚きました。外国に行って、外国にいる雰囲気がしないというのはこういう事なんだと実感しました。本当に自分が韓国にいると感じたのはその日の夜でした。その晩、アパートに入居し、一ヵ月半の韓国一人暮らし生活が始まりました。ソウルはとても蒸し暑かったのですが、最初の一週間はガスが無かったので、冷たい水でシャワーを浴びたので、エアコンを使わずにすみました。ガスが使えるようになった日はとても嬉しくて、ガッツポーズをして、シャワーの後に友達に電話し、ガスが使えるようになったと伝えました。ソウルに着いてから、三日後に交換留学先の学校の2泊3日の旅行に参加しました。旅行でソウル郊外の有名な観光地に連れて行かれましたが、初日以外はみんなあまり元気がありませんでした。なぜなら、大半の人たちがホテルでお酒でつぶれていたり、朝まで飲んで、二日酔いになり元気が無かったからです。修学旅行みたいな気分だったので、旅行を楽しむことができました。韓国で作った友達もその旅行を通して知り合いました。旅行から帰ってくると、すぐ学校の夏学期が始まりました。僕は朝鮮戦争史と韓国語の語学勉強の授業を受けました。平日は学校に通って、夜は図書館で勉強し、夜は家に帰る前にレストランで知り合った友達とコンビニに行ってビールを買って飲みました。金曜日は友達とバーやクラブに行きました。ソウルのクラブは外国人の入場料が無料だったので、何回も出入りしました。勉強したり、ガールフレンドとデートしたり、大学の友達と一緒に騒いだり、同じ高校から卒業した韓国人の友達に会ったり、知らない人にお酒をおごってもらったり、とても忙しかったです。韓国からアメリカに帰ったとき、韓国がとても恋しくなり、欝になりそうでした。今はもうラフィエットの生活に慣れましたが、機会があれば、また韓国に行ってみたいです。
ジャーチン・リン
僕はこの夏、交換留学生として、韓国の大学に送られました。自分は全然韓国語ができないし、韓国に一度も訪れたことが無かったので、とても心配でしたが、同じパデュー大学の韓国人の友達が色々と僕の面倒を見てくれたので、とても助かりました。韓国に到着して、最初に気づいたことは、町の風景や韓国人の荒い車の運転がとても台湾に似ていることです。町の看板を中国語に変えて、写真を撮ったら間違いなく台湾の人も台湾と間違えられるでしょう。友達が空港に迎えに来て、その後友達と一緒にソウルにある僕がお世話になるアパートへ向かいました。ソウル郊外の仁川国際空港からソウル市内まで、車で40分かかりました。ソウル市内に入った時、ソウルが台湾の台北と似ていて驚きました。外国に行って、外国にいる雰囲気がしないというのはこういう事なんだと実感しました。本当に自分が韓国にいると感じたのはその日の夜でした。その晩、アパートに入居し、一ヵ月半の韓国一人暮らし生活が始まりました。ソウルはとても蒸し暑かったのですが、最初の一週間はガスが無かったので、冷たい水でシャワーを浴びたので、エアコンを使わずにすみました。ガスが使えるようになった日はとても嬉しくて、ガッツポーズをして、シャワーの後に友達に電話し、ガスが使えるようになったと伝えました。ソウルに着いてから、三日後に交換留学先の学校の2泊3日の旅行に参加しました。旅行でソウル郊外の有名な観光地に連れて行かれましたが、初日以外はみんなあまり元気がありませんでした。なぜなら、大半の人たちがホテルでお酒でつぶれていたり、朝まで飲んで、二日酔いになり元気が無かったからです。修学旅行みたいな気分だったので、旅行を楽しむことができました。韓国で作った友達もその旅行を通して知り合いました。旅行から帰ってくると、すぐ学校の夏学期が始まりました。僕は朝鮮戦争史と韓国語の語学勉強の授業を受けました。平日は学校に通って、夜は図書館で勉強し、夜は家に帰る前にレストランで知り合った友達とコンビニに行ってビールを買って飲みました。金曜日は友達とバーやクラブに行きました。ソウルのクラブは外国人の入場料が無料だったので、何回も出入りしました。勉強したり、ガールフレンドとデートしたり、大学の友達と一緒に騒いだり、同じ高校から卒業した韓国人の友達に会ったり、知らない人にお酒をおごってもらったり、とても忙しかったです。韓国からアメリカに帰ったとき、韓国がとても恋しくなり、欝になりそうでした。今はもうラフィエットの生活に慣れましたが、機会があれば、また韓国に行ってみたいです。
クラインズさん
作文1:どのように夏休みを過ごしましたか。
夏休みにはいろいろなことをしました。一般的に言えば日本に関する経験がたくさんありました。夏休みの三ヶ月間に東京で仕事をしました。仕事というか、ぐたいてきにいうとインターンシプをしました。カミンズというエンジンを作る会社でインタンシープをしました。大学で一応専攻をしているのは機械工学ですから、このエンジン会社で仕事する機会が与えられたことにとてもありがたい気持ちがありました。私の仕事の二三ヶ月に時間表について説明します。はじめの二週間にはいろいろな会社内のガイダンスを受けました。品質や誠実や親善などの会社特質についてよく聞きました。あとは会社のパスコーンをもらいました。それから、エンジンと機械を組み立てる会社についてのプロファヤルを詳しく作りました。そして、東京にはカミンズのオフィスがたくさんありますから、みな知り合うことができるようによくいどうして訪問しました。そのうち、色々な会社の工場見学してもらう機会がたくさんありました。訪問して見学された会社は小松や川崎やチラドなどでした。そして、四週間でワークシャープでエンジンを組み立てなおすことができました。そして、二週間で会社の本部から来た一人からエンジンをコントロールするやり方の訓練を受けました。それは、英語で行われたからとても便利でしたがとても退屈でした。遊びに東京によく出かけました。買い物したりフトサルしたり海に行ったりしました。そして、二週間で私の彼女が日本に来られて一緒に遊ぶことができてとても楽しかったです。彼女と一緒に会社での同僚たちに呼ばれて誘われていました。彼らと一緒に食べに色々な優秀なレストランに行くことができました。そして、彼女の始めて日本に行く機会でとても好きようでした。全体的に日本に行くことがも一度できたことにとてもうれしかったです。そして、今の選考していることに関する経験や仕事ができたことにもありがたいです。(
夏休みにはいろいろなことをしました。一般的に言えば日本に関する経験がたくさんありました。夏休みの三ヶ月間に東京で仕事をしました。仕事というか、ぐたいてきにいうとインターンシプをしました。カミンズというエンジンを作る会社でインタンシープをしました。大学で一応専攻をしているのは機械工学ですから、このエンジン会社で仕事する機会が与えられたことにとてもありがたい気持ちがありました。私の仕事の二三ヶ月に時間表について説明します。はじめの二週間にはいろいろな会社内のガイダンスを受けました。品質や誠実や親善などの会社特質についてよく聞きました。あとは会社のパスコーンをもらいました。それから、エンジンと機械を組み立てる会社についてのプロファヤルを詳しく作りました。そして、東京にはカミンズのオフィスがたくさんありますから、みな知り合うことができるようによくいどうして訪問しました。そのうち、色々な会社の工場見学してもらう機会がたくさんありました。訪問して見学された会社は小松や川崎やチラドなどでした。そして、四週間でワークシャープでエンジンを組み立てなおすことができました。そして、二週間で会社の本部から来た一人からエンジンをコントロールするやり方の訓練を受けました。それは、英語で行われたからとても便利でしたがとても退屈でした。遊びに東京によく出かけました。買い物したりフトサルしたり海に行ったりしました。そして、二週間で私の彼女が日本に来られて一緒に遊ぶことができてとても楽しかったです。彼女と一緒に会社での同僚たちに呼ばれて誘われていました。彼らと一緒に食べに色々な優秀なレストランに行くことができました。そして、彼女の始めて日本に行く機会でとても好きようでした。全体的に日本に行くことがも一度できたことにとてもうれしかったです。そして、今の選考していることに関する経験や仕事ができたことにもありがたいです。(
伊藤さん
アメリカの夏休みは三ヶ月もあり、日本とは違いとても長いです。私は学校を五月十日に出発し、日本に五月十一日に着きました。私の友達は今、皆大学三年生です。彼らの夏休みは八月から始まりますので、僕は約三ヶ月もの間友達と好きなときにいつでも自由に遊ぶということはできませんでした。日本の学生は、学業は勿論ですがアルバイトにサークルにと本当に忙しいみたいです。私は、基本的にトレーニングをしたり家族と時間を過ごし夏休みを過ごしましたが、六月の中盤に私は友達と以前から計画していたベトナム旅行に出掛けました。ベトナムでは世界遺産を観光しに行ったり、さんご礁の広がる海で素潜りやジェットスキーを楽しみました。
ベトナムでのメインイベントは二つありました。まず一つ目は世界遺産の観光です。私はベトナムで何をするかは私のベトナムの友人に任せていたので名前は忘れてしまいましたが、世界遺産に登録されている鍾乳洞に行きました。車で七時間かけて目的地に到着し、そこからボートでさらに三十分かけて入り口に到着しました。すぐに鍾乳洞が見れるのかと思っていたのですが、そこからさらに30分ほど石段を登らされついに鍾乳洞に到着しました。世界遺産に登録されているだけあって、中はとても広く綺麗で言葉では言い表せないほどに美しかったです。
世界遺産も大きな感動を与えてくれましたが、私はやはり観光よりも実際のアクティビティーの方が好きです。ベトナムでのもう一つの目的、ビーチは本当に最高でした。まずは、ベトナム最速と言われているジェットスキーを友人たちと1時間ほど楽しみました。ジェットコースターの用に落ちない保障があるわけではないので、本当にスリリングで楽しかったです。ジェットスキーを楽しんだ後は、船で沖に行き素潜りを楽しみました。サンゴ礁や、熱帯魚等本当に綺麗でした。船の上からバック転をしたり、水中でバブルリングを作ったりと本当に良い思い出になりました。
ベトナム旅行で最も印象に残っている二つの出来事について書かせていただきましたが、他にもここには書ききれないほどの良い思い出があります。旅行に行くということはお金がかかることですが、様々な国々の状況を肌で感じ、それによりまたさらに自分自身の視野も広がったりと本当に価値のあることだと思います。来年の夏も是非また友達と違う国に旅行に行きたいと思います。
ベトナムでのメインイベントは二つありました。まず一つ目は世界遺産の観光です。私はベトナムで何をするかは私のベトナムの友人に任せていたので名前は忘れてしまいましたが、世界遺産に登録されている鍾乳洞に行きました。車で七時間かけて目的地に到着し、そこからボートでさらに三十分かけて入り口に到着しました。すぐに鍾乳洞が見れるのかと思っていたのですが、そこからさらに30分ほど石段を登らされついに鍾乳洞に到着しました。世界遺産に登録されているだけあって、中はとても広く綺麗で言葉では言い表せないほどに美しかったです。
世界遺産も大きな感動を与えてくれましたが、私はやはり観光よりも実際のアクティビティーの方が好きです。ベトナムでのもう一つの目的、ビーチは本当に最高でした。まずは、ベトナム最速と言われているジェットスキーを友人たちと1時間ほど楽しみました。ジェットコースターの用に落ちない保障があるわけではないので、本当にスリリングで楽しかったです。ジェットスキーを楽しんだ後は、船で沖に行き素潜りを楽しみました。サンゴ礁や、熱帯魚等本当に綺麗でした。船の上からバック転をしたり、水中でバブルリングを作ったりと本当に良い思い出になりました。
ベトナム旅行で最も印象に残っている二つの出来事について書かせていただきましたが、他にもここには書ききれないほどの良い思い出があります。旅行に行くということはお金がかかることですが、様々な国々の状況を肌で感じ、それによりまたさらに自分自身の視野も広がったりと本当に価値のあることだと思います。来年の夏も是非また友達と違う国に旅行に行きたいと思います。
ホリデーさん
私の夏休み
今年の夏休みにあまり旅行しなかったが、私は五人友達と一緒にミシガン湖に行きました。春に、オンラインで賃借する家を探して、いっぱい家を見ました。長い時間の探した後で、オグデンデュンズ市にThe House at Sunset Trailという家を見つけました!私たちはすごく楽しかった。さらに、費用はあまり高くなかった。そこで、家を一週間に賃借するのを決めました。
八月9日にオグデュンズに運転しました。ドライブは長くなかった。家に行きかけた時、大きい交通渋滞がありました。たぶん、十五分で一マイルしか動きませんでした。でも、交通渋滞の後で、早く着きました。The House at Sunset Trailはとてもかわいくて、赤い家でした。
家から湖は近かったので、最初の晩にビーチに歩きました。友達は作った火の上にホットドッグとマシュマロを焼いた。晩御飯を食べかけた時に、雨が降り始めました。かさがありまんでした。残念でした。次の日、もう一度ビーチに行きました。私たちはその日が競争の日だのを決めました。それから、二つのチームを作りました。女子チームと男子チームでした。両方のチームは一番よいサンドキャスルを作らなければなりませんでした。2、3時間ぐらい働きました。男子チームは高くて、広い市を作ったが、私のチームはピラミッドと大きいスフィンクスを作りました。私は女子チームは勝ったと思いますが、私のボイフレンドは「私たち勝った!私たち勝った!」を言いました。七時間に外にいて、雲がなかったから、強い日焼けがありました。とても痛かった。
水曜日に有名なレストランに行きました。女子はドレスを着ていて、男子はスーツをきていた。でも、レストランに着いた後で、びっくりした。レストランはとても小さかった、食べ物はあまりおいしくなかった。そして、費用は高かった。そんなの晩御飯は好きじゃなかった。
その週に二日にシカゴも電車で行きました。シカゴはとても忙しくて、楽しかった。でも、失礼な人が多いだった。運転する人は常に怒っていて、さけびました。それでも、私と友達は楽しい事が出来ました。シアズタワーやフィールド博物館や水族館の切符を買いました。そして、ジアダノズというレストランに食べました。ディップディシュのピザで有名なレストランです。そのピザはシカゴ市の中で最もおいしいピザです。
私の夏休みは大丈夫でしたが、ミシガン湖の流行は一番楽しい事でした。来年、オグデンデューンズにもう一回行きたいです!
今年の夏休みにあまり旅行しなかったが、私は五人友達と一緒にミシガン湖に行きました。春に、オンラインで賃借する家を探して、いっぱい家を見ました。長い時間の探した後で、オグデンデュンズ市にThe House at Sunset Trailという家を見つけました!私たちはすごく楽しかった。さらに、費用はあまり高くなかった。そこで、家を一週間に賃借するのを決めました。
八月9日にオグデュンズに運転しました。ドライブは長くなかった。家に行きかけた時、大きい交通渋滞がありました。たぶん、十五分で一マイルしか動きませんでした。でも、交通渋滞の後で、早く着きました。The House at Sunset Trailはとてもかわいくて、赤い家でした。
家から湖は近かったので、最初の晩にビーチに歩きました。友達は作った火の上にホットドッグとマシュマロを焼いた。晩御飯を食べかけた時に、雨が降り始めました。かさがありまんでした。残念でした。次の日、もう一度ビーチに行きました。私たちはその日が競争の日だのを決めました。それから、二つのチームを作りました。女子チームと男子チームでした。両方のチームは一番よいサンドキャスルを作らなければなりませんでした。2、3時間ぐらい働きました。男子チームは高くて、広い市を作ったが、私のチームはピラミッドと大きいスフィンクスを作りました。私は女子チームは勝ったと思いますが、私のボイフレンドは「私たち勝った!私たち勝った!」を言いました。七時間に外にいて、雲がなかったから、強い日焼けがありました。とても痛かった。
水曜日に有名なレストランに行きました。女子はドレスを着ていて、男子はスーツをきていた。でも、レストランに着いた後で、びっくりした。レストランはとても小さかった、食べ物はあまりおいしくなかった。そして、費用は高かった。そんなの晩御飯は好きじゃなかった。
その週に二日にシカゴも電車で行きました。シカゴはとても忙しくて、楽しかった。でも、失礼な人が多いだった。運転する人は常に怒っていて、さけびました。それでも、私と友達は楽しい事が出来ました。シアズタワーやフィールド博物館や水族館の切符を買いました。そして、ジアダノズというレストランに食べました。ディップディシュのピザで有名なレストランです。そのピザはシカゴ市の中で最もおいしいピザです。
私の夏休みは大丈夫でしたが、ミシガン湖の流行は一番楽しい事でした。来年、オグデンデューンズにもう一回行きたいです!
グティエラスさん
私の夏休み
この夏、私の兄は結婚しました。結婚式前に、独身男性のパーティがあって、私はシカゴに行きました。まず、兄と私と他の介添え人はゴルフをしました。結婚式の場所において、ゴルフコースがあるので、そこでしました。皆さんが下手ですが、本当に楽しかった。ゴルフ後で、レストランへ食べに行きました。次にシカゴ川で釣りました。二時から五時まで鯉を釣って、皆さんは一尾はを捕りましたが、私は二尾を捕りました。最初の魚は十三ポンドです。次の魚は十九ポンドですので、とても嬉しかったです。最後に兄の一番お気に入りバーに行きました。一週間後で、結婚式がありました。場所はシカゴソウスショルカルトラルセンターです。湖に近くて、きれいなホールがあって、とてもいい場所と思いました。家でタキシードを着て、両親と結婚式に行きました。私は介添え人ですので、早くに着きましたが、兄がまだ来ませんでした。三十分後で、兄が来て、タキシードをまだ着ませんでした。私は、『どうして遅いですか』と言いました。兄の返事は『指輪を忘れてしまった』です。その時後で、介添え人は色々な準備をして、そして、式の時が着きました。介添え人とブライズメイドが同時にホールに入って、そして、新婦が入りました。白くてきれいなドレスを着て、新婦のお父さんと同時に歩いて入りました。2008年12月に新婦のお父さんの二足が切り取れましたので、そういうことはすごいでした。結婚式は美しくて、兄と新婦がキースをしました。式後で、披露宴があって、でも前に外で写真を取りに行きました。写真を取りかけたとき、雨が降り始めましたので、皆さんは早く中に走りました。披露宴で、とてもおいしい食べ物を食べました。ケーキがありませんでしたが、多くのカップケーキがありました。人参ケーキのカップケーキや赤いベルベットケーキのカップケーキなどがあって、皆さんは好きな味を選ぶことできましたので、いいアイデアと思っています。カップケーキを食べた後で、十一時まで踊りました。十一時に皆さんは家に帰りました。兄の結婚は美しくて、とても楽しかったです。
この夏、私の兄は結婚しました。結婚式前に、独身男性のパーティがあって、私はシカゴに行きました。まず、兄と私と他の介添え人はゴルフをしました。結婚式の場所において、ゴルフコースがあるので、そこでしました。皆さんが下手ですが、本当に楽しかった。ゴルフ後で、レストランへ食べに行きました。次にシカゴ川で釣りました。二時から五時まで鯉を釣って、皆さんは一尾はを捕りましたが、私は二尾を捕りました。最初の魚は十三ポンドです。次の魚は十九ポンドですので、とても嬉しかったです。最後に兄の一番お気に入りバーに行きました。一週間後で、結婚式がありました。場所はシカゴソウスショルカルトラルセンターです。湖に近くて、きれいなホールがあって、とてもいい場所と思いました。家でタキシードを着て、両親と結婚式に行きました。私は介添え人ですので、早くに着きましたが、兄がまだ来ませんでした。三十分後で、兄が来て、タキシードをまだ着ませんでした。私は、『どうして遅いですか』と言いました。兄の返事は『指輪を忘れてしまった』です。その時後で、介添え人は色々な準備をして、そして、式の時が着きました。介添え人とブライズメイドが同時にホールに入って、そして、新婦が入りました。白くてきれいなドレスを着て、新婦のお父さんと同時に歩いて入りました。2008年12月に新婦のお父さんの二足が切り取れましたので、そういうことはすごいでした。結婚式は美しくて、兄と新婦がキースをしました。式後で、披露宴があって、でも前に外で写真を取りに行きました。写真を取りかけたとき、雨が降り始めましたので、皆さんは早く中に走りました。披露宴で、とてもおいしい食べ物を食べました。ケーキがありませんでしたが、多くのカップケーキがありました。人参ケーキのカップケーキや赤いベルベットケーキのカップケーキなどがあって、皆さんは好きな味を選ぶことできましたので、いいアイデアと思っています。カップケーキを食べた後で、十一時まで踊りました。十一時に皆さんは家に帰りました。兄の結婚は美しくて、とても楽しかったです。
ゴさん
私の夏休み:北京で遊び
私には今年の夏休みはとても面白かった。夏休みの第一ヶ月は何もしなかったが、次の二ヶ月に色々な場所で旅行したのは初めてであった。その二ヶ月に毎日疲れた感じを持っていたけど、私はどこに行ってもその国の文化や社会などから種類豊富なことを学んでいただいた。特に中国の国都の北京である。
約六十年前に私の先祖は南中国からシンガポールに引っ越しした。その後北京で旅行した以外に家族は中国内地に一回も帰らなかった。言うまでもないことがみんなは今度の海外旅行が非常に沸き立った。北京で泊まる時間が少ないだが、その四日の間に私たちは行った史蹟が多い。万里の長城、天安門、古宫、などなど。そこで、有名な史蹟を見るに際して、威風凛々の感情に圧倒された。
中国の歴史は世界で一番長いとかもしれない。その理由において、中国の伝統と文化は本当に複雑と考えられている。私は北京に行った時、そのような現代化した国都に少し驚いた。例えば、古宫の近くに高いビルを立って、道が広くて、どこでも「スターバックス」があって、そして最近で車の方が自転車より人気になった。やはり、今の北京は私の印象中に違うところがたくさんあった。
私の家族は中国語ができるのに、北京に住んでいる中国人と話すのはもう難しかった。実は一般的な中国語ができる外国人によると北京地方のアクセントは分かりにくいと思う。幸によく観察すると、私たちは北京アクセントに馴染んで、この口頭語の困難を徐々に乗り越えた。それに、買い物をしながら店員は私たちの使っている中国語に何回もお世辞を言いてくれた。
中国の国都は楽しかったし、壮大なったし、全世界で一つ 魅力的な市町だと思う。しかし北京は悪点があってしまった。2008年のオリンピックスを開催したものの、西北中国の砂原からの黒風と重工業からの空気汚染はまだ重大問題である。それより私と家族はこの夏休みに一緒に北京で有意義な経験を取った。未来に、私は春か秋に北京でも一度旅行するべきだ。
私には今年の夏休みはとても面白かった。夏休みの第一ヶ月は何もしなかったが、次の二ヶ月に色々な場所で旅行したのは初めてであった。その二ヶ月に毎日疲れた感じを持っていたけど、私はどこに行ってもその国の文化や社会などから種類豊富なことを学んでいただいた。特に中国の国都の北京である。
約六十年前に私の先祖は南中国からシンガポールに引っ越しした。その後北京で旅行した以外に家族は中国内地に一回も帰らなかった。言うまでもないことがみんなは今度の海外旅行が非常に沸き立った。北京で泊まる時間が少ないだが、その四日の間に私たちは行った史蹟が多い。万里の長城、天安門、古宫、などなど。そこで、有名な史蹟を見るに際して、威風凛々の感情に圧倒された。
中国の歴史は世界で一番長いとかもしれない。その理由において、中国の伝統と文化は本当に複雑と考えられている。私は北京に行った時、そのような現代化した国都に少し驚いた。例えば、古宫の近くに高いビルを立って、道が広くて、どこでも「スターバックス」があって、そして最近で車の方が自転車より人気になった。やはり、今の北京は私の印象中に違うところがたくさんあった。
私の家族は中国語ができるのに、北京に住んでいる中国人と話すのはもう難しかった。実は一般的な中国語ができる外国人によると北京地方のアクセントは分かりにくいと思う。幸によく観察すると、私たちは北京アクセントに馴染んで、この口頭語の困難を徐々に乗り越えた。それに、買い物をしながら店員は私たちの使っている中国語に何回もお世辞を言いてくれた。
中国の国都は楽しかったし、壮大なったし、全世界で一つ 魅力的な市町だと思う。しかし北京は悪点があってしまった。2008年のオリンピックスを開催したものの、西北中国の砂原からの黒風と重工業からの空気汚染はまだ重大問題である。それより私と家族はこの夏休みに一緒に北京で有意義な経験を取った。未来に、私は春か秋に北京でも一度旅行するべきだ。
ビーシングさん
夏休みのこと
ケリー・ビーシング
夏休みに色々なことをした。アルバイトをすることや家族と一緒に出かけるなどをした。でも、この作文で日本から帰るに際してついて話したい。
ベラベラベラベラ。これはブラブラ歩いているの音が聞こえる。私は名古屋の国際空港にいるから。今日は、六月一日だから、アメリカに帰る。ホストファミリーは仕事をしなければならないので、三時ぐらい私は一人で飛行機に入って、心はドキドキをする。家族とは去年の八月に会って以来、一度も会っていない。ドキドキするので、全然寝ていない。そこで、本を読んだり、プヨプヨというDSゲームをしたりしている。
十三時間後で、変な音を聞いている。「この音は何だ?」と思う。日本語で「私のチケットはどこでもらえますか」とサンフランシスコの空港員に言った。いや!アメリカにいると思って、うれしくなる。英語で質問もう一度聞く。シカゴに行く飛行機に入って、まだ寝られない。テレビを見ている。
五時間後で、シカゴに着くにあたって、二十四時間ぐらい起きかけている。そこで、とても眠くなる。でも、もう一つフライトがあるので、寝ない。最後の飛行機を出るところを見つけてから、晩ご飯を買って食べている。とても親切なウエターに会って、おいしくてイタリアの食事を食べた。晩ご飯後で、たくさん変なことを起こる。。。
私のゲートを変えた。また、たくさんフライトをキャンセルをしちゃった。インディアナにおいて、強い雨と雷がある。少し心配している。本当に帰りたい。そして、空港員に「エバンズビルのフライトは大丈夫ですか」と聞いた。「いいえ、大きい嵐に来た。ミズーリとオハイオのフライトもキャンセルをしました」と言った。「一つインディアンアポリスのフライトがあるですけど、これもキャンセルをするかもしれない」と言った。そこで、私は泣いて始める。泣きかけている時、知らないお母さんとお父さんは「どうしたんですか。フライトもキャンセルしてしまいましたか」と聞いた。私は「はい、そうです。私は一年間ぐらい日本にいるの本当に帰りたいんです」と答えた。「へえ!本当ですか?ハーグは必要と思う」と言った親切お母さんだ。けいたい電話を貸してくれて、母に話して相談した上で今晩のイディーのフライトを決めた。親切なお母さんとお父さんに「どうもありがとうございます。おやすみなさい」と言った。
午前二時ぐらい、インディアンアポリスの空港において、両親と彼氏が私に迎えに来てくれた。とても嬉しくなった。
ケリー・ビーシング
夏休みに色々なことをした。アルバイトをすることや家族と一緒に出かけるなどをした。でも、この作文で日本から帰るに際してついて話したい。
ベラベラベラベラ。これはブラブラ歩いているの音が聞こえる。私は名古屋の国際空港にいるから。今日は、六月一日だから、アメリカに帰る。ホストファミリーは仕事をしなければならないので、三時ぐらい私は一人で飛行機に入って、心はドキドキをする。家族とは去年の八月に会って以来、一度も会っていない。ドキドキするので、全然寝ていない。そこで、本を読んだり、プヨプヨというDSゲームをしたりしている。
十三時間後で、変な音を聞いている。「この音は何だ?」と思う。日本語で「私のチケットはどこでもらえますか」とサンフランシスコの空港員に言った。いや!アメリカにいると思って、うれしくなる。英語で質問もう一度聞く。シカゴに行く飛行機に入って、まだ寝られない。テレビを見ている。
五時間後で、シカゴに着くにあたって、二十四時間ぐらい起きかけている。そこで、とても眠くなる。でも、もう一つフライトがあるので、寝ない。最後の飛行機を出るところを見つけてから、晩ご飯を買って食べている。とても親切なウエターに会って、おいしくてイタリアの食事を食べた。晩ご飯後で、たくさん変なことを起こる。。。
私のゲートを変えた。また、たくさんフライトをキャンセルをしちゃった。インディアナにおいて、強い雨と雷がある。少し心配している。本当に帰りたい。そして、空港員に「エバンズビルのフライトは大丈夫ですか」と聞いた。「いいえ、大きい嵐に来た。ミズーリとオハイオのフライトもキャンセルをしました」と言った。「一つインディアンアポリスのフライトがあるですけど、これもキャンセルをするかもしれない」と言った。そこで、私は泣いて始める。泣きかけている時、知らないお母さんとお父さんは「どうしたんですか。フライトもキャンセルしてしまいましたか」と聞いた。私は「はい、そうです。私は一年間ぐらい日本にいるの本当に帰りたいんです」と答えた。「へえ!本当ですか?ハーグは必要と思う」と言った親切お母さんだ。けいたい電話を貸してくれて、母に話して相談した上で今晩のイディーのフライトを決めた。親切なお母さんとお父さんに「どうもありがとうございます。おやすみなさい」と言った。
午前二時ぐらい、インディアンアポリスの空港において、両親と彼氏が私に迎えに来てくれた。とても嬉しくなった。
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