2009年10月26日月曜日

マルティネスさん

今日までで私の一番悲しい一日について
今日までで、私の一番悲しい一日は私の母が突如死んだ。毎日にその日を考える。母は私の一番好きな友達だった。母が死んだ時に、私は十五歳で、南インディアナのフロィドセントラル高校の一年生だった。その間に、私の家族はたくさん苦労があった。
その前に、私の家族は七家族だった。母と父と姉と二人兄と弟と私がいった。姉を除いては皆が南インディアナに住んでいった。母はEMTになりたいから、大学に行った。毎晩、母は色々な医療を勉強した。母は頭が良かった。母の授業で、私の母の成績が一番高かったから、死んだ後で、母の先生は母に健康診断書を上げた。母は友達と一緒に勉強した時に、死んだ。
メモリアルディーがあった。5月17日2002年に私は高校の休みを楽しんだ。勉強する前に、母は「今日のいつか服を着て下さい」と言った。私はパジャマもう着て、ドラゴンボールZマラソンを見ていった。二人兄が家を出た。弟がいとこの家に行っていった。父が二回に仕事をしていった。本当に普通の日があるそうだった。でも、母は外に行ったとたん、私は変な感情を感じた。私はその感情を無視した。
その晩に父はジョギングをした。一人で家でいた。電話が鳴らした時、何をしたことが覚えていない。私はたぶんテレビもう見ていった。
電話で女性は「クラークメモリアル病院です。マルティネス•レベッカについてなんですけど、夫がいっらしゃいませんか」と言った。私は晩御飯を吐こうと思っていたほど、不安が強かった。
私は「私は父に病院に電話をかけ直させた」と言った。一時間ぐらい後で、父は家に帰ったり、看護婦に電話したり、病院に行ったりした。その後で、私は姉に電話をした。
私は「母は病院に行った!死んだと思う!」と言った。
姉は「落ち着いなさい。母はたぶん大丈夫だ。父は家に帰るために、待って。」と言った。
私は母が大丈夫じゃないと思ったから、泣き出った。けれども、すぐに、弟が家に帰った。私は弟に「母が友達の家でもういるよ」と言った。それで、次の日授業があったから、私達は寝た。
次の朝に授業のために、誰も私に起きなかった。9時に一人で起きた。私は階下の部屋に行った。そこで全部の親せきがいた。父に「母はどこ」と聞いた。父の答えには目もくれず、私はもう一同泣き出った。私もう分かっていた。母は死んだ。
その日は今日までで私の一番悲しい一日である。そのこと後で、日々は新しい難題である。毎朝起きる時に「がんばって」と言う。

1 件のコメント:

  1. これを見て、涙が出そうでした。がんばれ!

    リン

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